2017.4.25 2
自分を愛していますか?
そう聞かれたら、「NO!」と答えます。
普段はおちゃらけているけれど、それは本当の自分を見せるのが怖いからなのである。
私はうつ病患者、吃音者であり、支援者である。
こんな頼りない支援者がいるものか。と自分でも思う。いや、嘘。実際は、人の痛みがわかる支援者!と思っている部分もあって、誇りに思うこともある。
その反面、変なところ豆腐メンタルなため
すぐ落ち込んでしまう。
ただ、これまで生きてきた中でひどく落ち込んだのは失恋だ。
その他には正直思い浮かばない。傷つかないように良い子を演じていたからかな。
そう…傷ついたことがほとんどないのだ。
いや、傷ついているかもしれないけれどそんなに深い傷ではないのだ。
あと、わりかしすぐに忘れてしまうのだ。
そんな私でも、失恋だけはすぐに忘れられなかった。
振られた日からひどく落ち込み、早1年。上書き保存なんてできないと思っていた。
しかし、もう一度その相手とコンタクトを取ろうとしたら断られた。
その時、ショックが来たけれど「これでもうおしまいなんだ」と心は冷静だった。
1年前のように涙も出ない。
うん。冷静。
そう思うと、吃音で落ち込んで泣いたことは何度かあるけれど、さすがに1年引きずったことはないのだ。
ということは、私は吃音と共生しており、スムーズに話せないながらもちょっとは受容できているのであろう。
しかし、吃音の厄介なところは
※あくまで私の場合だけれども、
①話すという行為に意識がいっていないときはスムーズに話せてしまう。
②どもりたくない。スムーズに話したい。と思うとつまったり、どもったりする。
③発表や、人前に出ることは怖いので回避行動をしている。
日常ではこの3パターンが繰り返されている。
これこそが吃音者の生きづらさなのだ。
吃音は脳の問題、障がい。となっている。という話も聞いたことがある。
しかし、常に障がいではないのだ。
ここが重要。
常に吃音者ではないのだ。
この間、先輩に「どもってばかりで聞き苦しくてすみませんでした。そんな話を聞いてくれてありがとうございました。」
と伝えた。
そしたら、返事で『そう?全然気にならなかったけど』
あれーーーー
勇気を出したのにこんなもんか。。
と拍子抜けしたのと、吃音とはなんぞや。と思ってしまった。
常にうつ状態や希死念慮があったり、幻覚が見えていたりするわけではないのだ。
だから、「あの人は●●病だから」と一括りにしてしまうことは、世界があまりにも狭い。
これは私の勝手なイメージだが、
身体障がい、知的障がいは治ることがない。と言われている?
でも、精神障がい者は精神障がいではなくなる可能性があるのだ。
精神障害者保健福祉手帳?あってる?
これに限っては、2年に1度、更新する必要がある。
これこそ、、なんていう制度なんだろう。と思う。
話が脱線しましたが、私の吃音も、症状が出る時と出ない時がある。
つまり、吃音者の時と非吃音者の時があるのだ。
ある意味二面性を持っている。ということでいいのではないだろうか。
そんなこんなで、、想いを書いてみた。。
だから、私は吃音者であり、非吃音者なのだ。