Maru's Blog

Kaemaru's Blog

行動力に欠ける吃音者。それでも頑張って美人時計に出ました。そんな人が書くブログ。

こんばんは

実は先々週(11日の午後)から職場の電話に出られなくなりました。

 

厳密には出られないのではなく、出ても「・・・あああいう(社名)・・・ええええお・・です」となってしまいました。

 

この日はドッと落ち込み、もう限界なのか。

 

この職業で電話に出られないなんて致命的ではないか。と真剣に悩みました。

 

11日は我慢をし、がんばって電話に出ました。

しかし、12日…この日もどもる、、難発。。。

 

参った。

 

あいにく他の人が取ってくれたから、よかった。

 

でも、自分で自分を責めてしまった。

 

周りには明るく振舞うけれどかなりキツかった。

 

うーん(。-_-。)

 

もう辞めようかな。。と思いながら、、心が辛い時には休みました。

 

これこそ自分を大切にしてると言うんだ。

なんて言い聞かせながら。

 

土日で、いろんな人に会い、まだ頑張れそう。そんなことを考えながら

今週出勤。無理。やはり電話に出られない。

どもるだけならまだしも、言葉が出ない。相談業務で吃音って致命的じゃないか?

やはり向いてないのか?実は新たにやりたいことがあるんだ。

などと、いろんな想いを胸にして出勤した。

22日、、、電話に出られない。もう言おう。言ってしまおう。

周りにはストレスで吃音が悪化している。波があると思うけど、電話に出ることが難しい。そう伝えた。

すると、周りは暖かく「出るから大丈夫」という言葉をかけてくれた。

 

あれ?冷たくされると思ったのに、、思い込み?

 

吃音で電話が取れない=迷惑で相手を嫌な気持ちにさせる

これって思い込みだったのかも。

 

少々拍子抜け。笑

 

 

そして、月・水と電話に出なかった。

もちろん私宛の電話には出た。その時も「お電話代わりました」とか「お待たせいたしました」とか言えるかな言えるかな。と不安でしかなかった。

でも、取るしかない。社名じゃないから言えるはず。そんなふうに思い、取り次いでもらった。

よかった。言えた。

 

その後、木曜日(今日)

今度は他の職場の人に取れません。すみません。と伝えた。

 

でも、自分の部署には私1人。電話が鳴る。

最初の2件はごまかしながら取った。うーん。しっくりこない。

次は名前をはっきり言ってみよう。なぜかそんな気持ちになっていた。

 

何十本も鳴る電話。

 

今日は調子がいいのだろうか。その後は普通に社名も名前も言えるようになっていた。

何て言ったらいいのかわからないけど、私の人生は電話ではない。

新たにやりたいことが見つかったのだ。

そんなことばかり考えていたら、不思議と電話が鳴っても驚きもせず、スラスラと出られるようになった。

 

先々週から今週頭にかけては、自信を失っていたのだ。

 

スムーズに話すことだけに焦点が行っていた。

 

強迫性障害みたい。

 

 

 

 

でも、今思うと過去なんだよね。

 

なんで言えなかったのか不思議なくらい。他人事のようである。

 

やっぱり、吃音を受け入れることも大切かもしれない。自己受容に繋がるかもしれない。

けれど、吃音のことを考えずに気持ちよく、会話を楽しめることが何より大切なのかな。

なんて思いました。

 

要はテンポでしょうか。テンポが合う人との会話だとスラスラ話せてしまう不思議。

それと、「吃音」や「相手に変に思われないだろうか」などと思っていないと話せてしまう。何かヒントがあるのかな。

 

時には逃げ、時には向き合い、自分を褒め、いろいろあっておもしろい。

 

でもやっぱり、うつ状態にはなりたくない。辛いから。

睡眠

体調が悪い?

いや、身体が正直になっている?

休みなさい。と言っている?

ってことで、今日はお仕事を休みました。

休んだのに、寝てばかりで
悪夢ばかり見ていました。

何度も、この先生きていけるのかなぁ。とか、仕事どうなるんだろう。とか、、そんなことばかり考えていました (¯―¯٥)

19時頃、再び起きましたが

頭は起きてるのに身体が動かない、、、

もうなんですかこれは!!

潜在意識が整理してるんだと!!

なるほど〜😳😳!

先のことはわからないのに考えちゃう癖、まだ抜けてない (¯―¯٥)

うーん。何か食べよう。

5月

先週、コーチングをやっていただきました。


ずっと、、社会人になってからはなおさら

「生きづらい」
「働いてない自分になんか価値はない」
「吃音だから何もできない」
「自信がない、人の目が木になる」
「人に心を開けない」
「とにかく辛い」

そんなことばかり思ってる日々でした。

ふと、知り合った方に
私自身の棚卸しをしていただきました。

3時間くらいお付き合いいただいたかと思います。

これまでの私は、誰かに何かをアドバイスされても聞いてるふりだけで実行することはありませんでした。

ただ、今回コーチングしてくれた方の言葉は心の奥にしっくり入っていきました。


わたしってこんなにいいところあったんだ。
わたしは自分に素直になってるつもりが、本当につもりで、何も素直になってなかったんだ。

世間の目ばかり気にして生きてきたんだ。。

と、気づきました。

それと同時に自分のことをいじめていました。

自分の本当の声を無視して、
仕事だからこうでなければいけない。や、こうしなければいけない。
など、そんな思考ばかりでした。

まずは自分の本当の声に耳を傾けようと思いました。というか、もう傾けてます!
それだけで生きるのが楽になったのを、実感しています。

波動を高めていいものを引き寄せよう♪

2017.4.25 2

自分を愛していますか?


そう聞かれたら、「NO!」と答えます。


普段はおちゃらけているけれど、それは本当の自分を見せるのが怖いからなのである。

私はうつ病患者、吃音者であり、支援者である。

こんな頼りない支援者がいるものか。と自分でも思う。いや、嘘。実際は、人の痛みがわかる支援者!と思っている部分もあって、誇りに思うこともある。

その反面、変なところ豆腐メンタルなため

すぐ落ち込んでしまう。

ただ、これまで生きてきた中でひどく落ち込んだのは失恋だ。

その他には正直思い浮かばない。傷つかないように良い子を演じていたからかな。

そう…傷ついたことがほとんどないのだ。

いや、傷ついているかもしれないけれどそんなに深い傷ではないのだ。

あと、わりかしすぐに忘れてしまうのだ。


そんな私でも、失恋だけはすぐに忘れられなかった。


振られた日からひどく落ち込み、早1年。上書き保存なんてできないと思っていた。

しかし、もう一度その相手とコンタクトを取ろうとしたら断られた。

その時、ショックが来たけれど「これでもうおしまいなんだ」と心は冷静だった。

1年前のように涙も出ない。


うん。冷静。



そう思うと、吃音で落ち込んで泣いたことは何度かあるけれど、さすがに1年引きずったことはないのだ。

ということは、私は吃音と共生しており、スムーズに話せないながらもちょっとは受容できているのであろう。


しかし、吃音の厄介なところは


※あくまで私の場合だけれども、

①話すという行為に意識がいっていないときはスムーズに話せてしまう。

②どもりたくない。スムーズに話したい。と思うとつまったり、どもったりする。

③発表や、人前に出ることは怖いので回避行動をしている。


日常ではこの3パターンが繰り返されている。



これこそが吃音者の生きづらさなのだ。

吃音は脳の問題、障がい。となっている。という話も聞いたことがある。


しかし、常に障がいではないのだ。

ここが重要。




常に吃音者ではないのだ。









この間、先輩に「どもってばかりで聞き苦しくてすみませんでした。そんな話を聞いてくれてありがとうございました。」

と伝えた。


そしたら、返事で『そう?全然気にならなかったけど』



あれーーーー


勇気を出したのにこんなもんか。。



と拍子抜けしたのと、吃音とはなんぞや。と思ってしまった。





うつ病統合失調症の人もそう。


常にうつ状態希死念慮があったり、幻覚が見えていたりするわけではないのだ。



だから、「あの人は●●病だから」と一括りにしてしまうことは、世界があまりにも狭い。






これは私の勝手なイメージだが、


身体障がい、知的障がいは治ることがない。と言われている?


でも、精神障がい者は精神障がいではなくなる可能性があるのだ。

精神障害者保健福祉手帳?あってる?

これに限っては、2年に1度、更新する必要がある。




これこそ、、なんていう制度なんだろう。と思う。




話が脱線しましたが、私の吃音も、症状が出る時と出ない時がある。


つまり、吃音者の時と非吃音者の時があるのだ。


ある意味二面性を持っている。ということでいいのではないだろうか。



そんなこんなで、、想いを書いてみた。。



だから、私は吃音者であり、非吃音者なのだ。

2017.4.25 1

吃音を隠すこと


吃音をカミングアウトすること


どちらがいいのでしょうか。


私は、両者を実践しています。


でも、結局隠しても吃音ってばれちゃうんだよね?

わからないけど…。。


今の職場には「私には吃音があります」

と伝えた。
しかし、周りは気にしている?気にしていない?それすらわからない。
そもそも、私の吃音は軽度?中度?重度?
それもわからない。


今、転職を考えているけれど「吃音」が邪魔で前に踏み出せない。
「吃音」を理由に転職をせずに、いまあるところに留まっているのだ。

もし、もし…吃音がなかったらどんな生活をしているのだろうか。
わからない。

でも、もっと行動的だった?どうだろう。。うーん。考える。









でも…。私が吃音になり始めたのは小学校4年生の頃。
これより前はそんなにアクティブだったのか?

いや、違う。人の目を気にしながら、おとなしい、すぐ泣いてしまう

そんな子どもだった。


吃音ではなかったけど、内気な子どもだった。


ってことは、今、もしも吃音が治ったとしてもアクティブな性格にはならないだろう。



本当は甘えたい。そんなことを子どもの頃から思っているのだ。
でも甘え方がイマイチよくわからない^^;





きっと、吃音が治っても私の性格は変わらないだろう。
吃音が治っても、転職活動を踏みとどまるだろう。
吃音=転職不能なんていうのは自分の主観でしかないのだ。


「人にどう思われているのか」ということばかり気にして、本当の自分が発揮できていない。
それと同時に、この間ある人に言われたけれど
『全部内に秘めてしまいそう。人間は意外と温かい。もっと相談してもいいんだよ。』という声をかけてもらった。
本当にそのとおり。


誰が完璧でいないといけない。なんて言ったんだろうか。


完璧じゃない方が人間は魅力的じゃないか。できない子の方がかわいい。とよく言うものね。


完璧を求めちゃう自分が嫌だ。



ここまで気づけたから成長できたのかな。
吃音は治さなくても良い。
吃音を使い、上手く人に甘えよう。
「自分は話せるぞ。任せて。」なんていう態度を取らなくてもいいんだ。

そういうのに憧れていた。「私が言うから!」といった正義感の持ち主に。

でも、私はそういうことをする必要がないのだ。
それが運命なのだ。
できないことはできない。

そういうことを受け入れられたら、吃音を克服できたことになるのかもしれない。


賛否両論あるとは思うけど、不完全な自分を愛し、吃音をもかわいく思える自分になれたら幸せ度が高まるよね^^

失恋してから。

ちょうど1年前、失恋をした。




あんなワンワン泣いて顔を腫らし、腸まで壊し、吃音なんて治らないでいい。
とにかくあの人の笑顔が見られたらいい。
それすら許されないんだ。

そう思った1年前。








初めて会うとき、私のことを探すのが面倒だったのか変わり者なのかわからないが、見つけるからジャンプをしてくれ。と電話で言われた。

私は言われるがままジャンプをした


『あっほんとにジャンプした』

いやいや、あなたが言ったんでしょ。と思ったけど、まぁそこには触れず。


その後、何度か会い

私はこの人のことが好き。と思ったので、

ラインで告白をした。
(衝動的)

すると、嬉しい。ちゃんと読むから後で返信するね。と来た。


しかし、その翌日態度が変わった。

ほぼ、毎日来ていたラインが来なくなり
最終的にはもうこの関係をやめよう。と言われた。

まだ何も始まってないのに。なんて思った。



わたしは必死で説得した。
もう覚えてないくらい必死になっていた。
連絡すら取れなくなるなんて、、あの笑顔が見られなくなるなんて信じられなかった。
ただの顔見知りでいい。特別な存在じゃなくていい。ただ、ただ・・笑顔が見たかった。


でも、だめだった。

縁を切ることになった。


わたしにはわからなかった。

急変した態度。なぜ?

わからなかった。


たくさんたくさん・・わからないことだらけだった。



その頃は、私が知り合って来た男性の中で、一番落ち着く存在だったのだ。



こんな人もう二度と現れない。
そんなふうに決めつけて、自暴自棄になった。
自暴自棄は3ヶ月にも及んだ。

一緒に行った場所、音楽、共通の趣味も
すべて受け付けなかった。
それらを感じると涙が溢れてくるのだ。
亡くなったわけじゃないのに、なんでこんなに涙が出るんだろう。
わたしはやっぱりバカなのか。そう思った。

でも、もう会えない。と心が理解しようとしたときに思い出した。ある記事に載せてもらえる。ということを。
それにより、私が生きてる証を残すんだ。という考えにたどり着いた。
とても小さなこと。ただ記事に載るだけ。でもいいのだ。自分というものが残る。それだけで嬉しかった。

支援員をしているからだろうか。
いつも人のため。なんて考えていた。
でも、今回はそうじゃない。自分のため。
自分のために自分というものを何らかの形で残したい。そういう考えに至った。
その後、美人時計にも載せていただいた。












そして、今月
また思い出した。もう、思い出の場所に行っても大丈夫だったはず。
忘れてはないけれど、記憶からかなり薄れているはず。



それなのに、その場所を感じ、さりげなく好きな音楽を聴く。
それだけ。ただ、それだけ。全身で思い出してしまった。



確かに彼のことは、時々思い出していた。
でも、サインがあった。

それは、私が人を大切にできていない時。
人よりも物やお金に目が眩んでいる時。
そんな時に思い出し、改心するんだった。




今回はかなり強く思い出した。なぜだかはわからない。でも、また最近も自分勝手になっていた。



よく、忘れた方がいい。楽。という。


でも、私が道を外しそうな時に人として大切なことを思い出させてくれる。



大丈夫。
今年からまた学生で次はちゃんと目標を持って自分のため、生きづらい方のために私は生きるんだ。

しっかりしよう。そして幸せになるのではなく、今ある幸せに気付こう。


まとまりがないけれど、少し書いてみた。

ここはどこだ



じじゃーん。。




初上陸





神秘的。



都内にもこんなに自然や、空気を感じられる場所があるんですね☺️





東京都北区内にある旧古河庭園でした。


閉園ギリギリ30分前?くらいに入りました。


なんとも、バラが有名らしい🌹
バラといえば
情熱の赤いバラ〜🌹って歌があったよね。
あたしンちのお母さんが歌ってる…。


それは置いといて、バラのアイスやバラの香りがするグッズが置いてありました。


入園してる方も少なく、久しぶりにまったりした時間を味わえた日でした。

友だちと『ここで働きたいね〜♡』なんて話をしていました。


その時、悲しいことに私の頭の中では '吃音がなかったら働けるかな。今のままじゃ働けないよ。あーあ。友達に合わせて馬鹿みたい。'

そんな気持ちが頭の中をよぎりました。


なかなかなりたい自分(饒舌な自分)にはなれないです。そんなもどかしさと毎日共存しております。笑


都立のものということもあって、入園料も数百円、障がい者手帳を持っていると無料で入れるみたいなのでおすすめです٩(ˊᗜˋ*)و